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近松は越前生まれ?

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『声曲類纂』(『声曲類纂』昭和16年4月、岩波文庫による)
《一説》長州萩の産にして、同藩臣杉森某の男なり。【卯花園漫録には越前の人とす。】少して肥前唐津近松寺に遊学し、【或近江国高観音近松寺御坊とも】後京師に登り、或堂上方に仕へ奉りて爵六位を賜ふと。【錦小路頼庸朝臣の五五記に、一條禅閤に仕るよしあり。又江戸柳島法性寺境内に建たる近松翁が事迹を記したる碑名にも、一條禅閤兼良公に仕るよし記してあり。兼良公は文明中薨去ありて、近松より貳百余年の昔なり。もしくは此公に仕へ奉りし人の子孫にやあらん、いぶかし。】元禄の頃仕官を退て浪人し、近松門左衛門と名乗り、歌舞妓芝居都万太夫、【万太夫か芝居にて、藤壺の后の怨霊藤の花より大蛇になる所を作りて世に賞せられしよし、古今役者大全に見えたり。】又宇治加賀掾・井上播磨掾等が為に浄瑠璃を作る。【世継曾我は、加賀掾が為に作れる内、分て行はる。】其後元禄三年庚午正月京都より浪花へ下り、竹本筑後掾が為に浄瑠璃数多著述し、其名を世上にあらはしぬ。【貞享三寅年筑後掾義太夫たりし時、これが為に作りて京都より大坂へ送りしは、出世景清といふを始とす。元禄十六未年あらはせるおはつ徳兵衛曾根崎心中といへるを、世話浄るりのはじめとせり。】……享保九年甲辰十一月廿一日七十二才にて身まかりぬ。大坂八丁目寺町法妙寺に葬す。辞世の文左に誌す。【戒号は世に在し時設置たるなり。】……門左衛門の兄は相国寺の宗長老、弟は岡本一抱子【名為竹字一抱子】といへる名医にして、京師に住す。妹は錦江といふ。俳諧に長じ大坂に住す。兄弟皆世に名高し。
【   】は割注を、/は改行を、それぞれ表す。
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