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近松は肥前国生まれ?

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『仮名世説』(『日本随筆大成(新装版)・第二期2』昭和48年12月、吉川弘文館による)
《遊学》近松門左衛門【杉森氏。長門萩の人なり。】……近比浪花の梅園主人のために近松の碑文を書し事ありしが、近松は長門萩の生れにて、兄は名誉の医師なり。門左衛門近松寺といふに遊学して、其寺の僧罪有りて、寺門の側にて刑せられしをみて、自らいましめの為に、近松門左衛門と称せしとぞ。ある時、兄の医師、近松がよしなき浄瑠璃本を作る事をいましめし時、そこには和語の薬名の書などをつくりて、一字一画の誤あれば、人の性命にかゝる大事の事なり。我らが作る所は狂言綺語にして、人の害にならずといひしかば、あにも其理に服し、さあらば、中直りのため、伴ひて大和めぐりをせんとて、つれだちてめぐり、世に伝ふる寺子供の手本の竜田詣といふものを書しと、廬橘庵の物語也。近松の碑文には、その事はもらせしなり。/近松の法名、穆矣旦具足居士とするものあり。此法名あやまれり。摂津大坂谷町法妙寺中に、平安堂の墓あり。おのれ其墓碑の石摺にしたるを蔵す。それにも旦を日一の二字につくれり。思ふに、近松は法花宗なれば、さもあるべし。且操年代記に、十一月廿二日とするもあやまれり。墓碑の裏かけて、纔に残る所に「辰年十一月廿一日」如此あり。
【   】は割注を、/は改行を、それぞれ表す。
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