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近松は肥前国生まれ?

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『戯財録』(『舞曲扇林 戯財録』1943年6月、岩波文庫による)
肥前唐津近松禅寺小僧古澗、碩学によつて住僧となり義門と改む。僧侶をあまた門人となせしが、所詮一寺の住持となりては衆生化度の利益少し、と大悟して雲水に出でしが、肉縁の弟岡本一抱子といふ大儒の医師京師にあれば、これに寄宿して、堂上方へも還俗して勤仕の間、有職も大体記憶し、その頃京師浄瑠璃芝居宇治加賀掾・井上播磨掾・岡本文弥・山本角太夫などの浄瑠璃狂言を述作せしが貞享三年大坂竹本義太夫座に頼まれ、出世景清といふ新物を書きしより、竹本の書始めにて、生涯数百番の新物を書作して、日本に名を揚ぐる。これより看板または板本に作者の名を記す元祖となりぬ。元来近松は衆生化度せんための奥念より書作する故、これまでの草子物とは異り、俗談平話を鍛錬して、愚智蒙昧の者どもに人情を貫き、神儒仏の奥義も残る所なく顕はし、俗文は古今の名人、あつぱれ古今一派の文者といふもさらなり。近松の浄瑠璃本を百冊読む時は、習はずして三教の道に悟りを開き、上一人より下万民に至るまでの人情を貫き、乾坤の間にあらゆること、森羅万象弁へざることなし。家々人中の襲ともいふべきものか。時に享保九年甲辰十一月廿二日卒す。/法名 阿耨院穆矣日一具足居士【久々智妙見広済寺の過去帳に残る。】
【   】は割注を、/は改行を、それぞれ表す。
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