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近松は周防国生まれ?

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『増補浄瑠璃大系図』(『演芸資料選書6・増補浄瑠璃大系図・上』平成5年3月、日本芸術文化振興会による)
我が国院本の鼻祖たる近松門左衛門翁は元禄年間新に浄瑠璃の一派を開きたる人にて彼の竹田出雲の如きも自著を携へて近松の門に到り教へを乞し事等は往々諸書に散見すれ共其終焉の地は?として不分明なりし処近日に至り山口県吉敷郡山口町村松寅吉方にて一の系図を発見せしに翁は同氏の祖先村松八兵衛の二男(長子了仙連歌の宗匠)初藤四郎と称し晩年山口に帰り薙髪の上馬場殿小路妙泉寺の住職となり入寂して妙具院亮固日慧大徳と謚したることの知れ且つ墳墓の同寺内に存生することを発見せし由にて右村松寅吉氏外五名が発起人となり広く義捐金を募集して一の記念碑を建設し氏の遺跡を永遠不朽に伝へんと昨今頻に奔走し居れり/右書は明治廿三年十一月八日大阪朝日新聞第三千五百廿三号の雑報内に有り 木谷長義写之
【   】は割注を、/は改行を、それぞれ表す。
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