2001年秋に訪れれて以来である。秋と初夏では印象が全く違うのは当たり前である。 春は草や樹木が若々しく活き活きしていて、とても爽やかである。特に今年は気温が高く、20日くらい時節が 先行してしている。春から夏にかけての花がいっせいに咲いていて、百花繚乱そのものである。
あべの橋駅9時50分の近鉄「吉野行急行」に乗ると途中「尺土」で御所線に乗り換え、御所駅で奈良交通バス に乗り、「風の森」に着いたのが11時5分過ぎである。高鴨神社に「サクラソウ」を見に行くグループが 前を歩いている。途中から別の道を行くことにする。
4月23日であるが、5月中旬くらいの気温であるので、サクラソウは見れないかと 思ったが、きれい咲いており目の保養になった。さすが、日本一品種が揃っているところである。
朱塗りの鳥居を入ったすぐ右側に屋根付きの段組をして、鉢植えのサクラソウがおいてあるのが目に入る。 一鉢一鉢名前がついている。右端の写真のサクラソウは「関台紅」と名前がついている。多分、ベニキリンという 品種だと思う。そのほか、「乙女の袖」「志賀の都」「南京小桜」等展示品全部に名前がついている。

高鴨神社は鴨神集落の中にある。京都の上賀茂神社、下鴨神社 を初め、全国にある鴨神社の総本家にあたる由緒正しい社である。 桧皮ぶきの本殿は国の重要文化財にしていされている。
この地方の豪族鴨氏の氏神社で、鴨族発祥の地である。
拝殿への参道は秋と比べると緑が多く生気に満ちているようである. 横の池も春のほうが良いと思われる。
高鴨神社の絵馬は近年のもので、平成4年とあった。企業が 収めた絵馬である。鳥二羽の絵馬は姫路市の人が平成5年に奉納しているものである。 高鴨神社のとなりにある「葛城の道歴史文化館」の建物内部は 和風調で美しい
「歴史文化館」をでて、みぎに曲がり坂道を上がっていく。U字形の カーブのところで、山間の谷になるのであるが、左の奥の道路架橋が見える場所は、 「山こもれる」 (テクテクマップの説明)と感じるところなのだが、やはり新緑の季節だと秋より実感が湧くようである。 途中の沢のなかに山吹の花が咲いていた
「葛城の道」の全体のコース は前回の初秋編のトップにあるので、そちらのほうをごらんください。ここでは、高天原と橋本院へのコース 掲げることにする。前回、時間の関係で行けなかった 高天原と橋本院に歩を進める。山麓のみちの案内標識をみて、途中から左に折れて坂道を上がっていく。 舗装してある道を上がっていくと、途中でT字形の所につきあたる。左に行けば「高天彦神社」右に折れると 高天原(史跡)と橋本院である。右に進んでいくと、山の中腹に広い原っぱが広がっている ところにでる。天尊光臨の伝承がある高天原である。
そこに、万葉の歌碑がある。
葛城の高間の草野(かやの)早知りて
標刺(しめさ)さましを今ぞ悔しき(万葉集巻七)
詠み人は不詳である。橋本院が立てた説明版にも書いていない。意味は「葛城の高天里に美しい娘が いたことをもっと早く知っておれば抱きしめていたのに、その娘は今は人妻になっていたよ。 悔しい限りである」であるが、小学館の日本古典文学全集の万葉集では、このような解釈は していない。同行の年輩の女性が、「現代なら、人妻になっていたからといって、どうってことないよ」と 言ったのが面白かった。

高天寺橋本院は中国唐代の高僧、鑑真が日本へやって来た時、四十五代聖武天皇が高天寺の住職に 鑑真を任命したほどの格式高い寺院で、金剛山転法輪寺七坊の一つとして、石寺や朝原寺とともに権威 を持ち、広大な荘園と山林を有した寺である。敷地内に「瞑想の庭」があり、ボタン、白藤、どうだんつつじ が咲き誇っていた。
浄土宗知恩院派の極楽寺は天暦5年(951)に興福寺で名僧の誉れ高かった一和僧都 (いちわそうず)が開いたと伝えられている。さつきと鐘楼の眺めもかくべつである。 長柄町への途中で今は殆ど見かけなくなった麦畑をみつけた。麦の穂の緑が 目にあざやかである。長柄町にある仲村邸は中世、吐田(はんだ)城主だった吐田越前守の子孫にあたる 仲村正勝氏が慶長年間に建てた御所市内で最も古い建築物、代官屋敷で、切妻段造、本瓦葺、六間取の 豪邸である。
長柄地区は南北の旧高野街道と東西の水越街道の交差点として開け、 古い民家が軒を連ねており、杉の子が軒先につるしてある家は酒造業を営んでいた家である。 長柄は古くは「長江」といい、それがいつしか転じて「長柄(ながら)」 呼ばれるようになったといわれる。長柄神社の領地は現在出は狭くなっているが その昔、天武天皇が境内で流鏑馬をしたと言われるから、相当広かったのであろう。

一言主神社
長柄神社の山側みある 龍正寺の山側道を長柄小学校の前を通って300メートル北へ進むとT字路につきあたる。そこを左折して 山側に向かっていくと、県道のしたをくぐるこことになり、更に200メートル進むと一言神社である。 全国各地の一言神社を奉斉する総本社である。祭神とされる一言主大神は雄略天皇が葛城に 狩りをした際に顕現した神とされている。
拝殿前には、子供が授かり、お乳がよく出るとの伝承のある
乳たれ銀杏とよばれる、木根が乳房が垂れた形 をしている大イチョウがある。樹齢1200年とされている。拝殿右横のすこし奥に、うっかりしていると見落とす ことになる説明版がある。謡曲「土蜘蛛」のでてくる蜘蛛塚 を説明している。蜘蛛塚そのものは横に生えている木の葉のしたにあり、覗き込まないと見えない。
一言神社標柱(県道をくぐる手前) 乳たれ銀杏(根がもちあがっている) 蜘蛛塚(実際は少し暗い)
今回は時間の関係でこの一言神社から御所駅に向かうことにする。 実は同行の女性3人(川柳仲間)が「もう歩けない」と言ったので、地図と首っ引きで北東に、ということは 斜めに、駅までの最短コースを取ることになった。幸い、2万5千分の一の地図と現状が変わっていなかったので 迷わずに駅までたどり着くことが出来た。途中、御所高校東側の川のほとりにある洋菓子店(東京世田谷の出店) に寄ったのだが、臨時休業で女性陣ががっかり。また、御所駅前の和菓子店も定休日(火曜日) で再度、足も肩も力が落ちてしまった。
参考文献: ガイドブック御所ー歴史街道をゆく 巨勢のみち・葛城の道 御所市観光協会 300円
近鉄てくてくまっぷ15−葛城の道コース 近畿日本鉄道 駅で無料配布
2万5千分の一地図「五条」「御所」 国土地理院 3色刷 1枚270円
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