平成15年(2003)7月23日朝から雨である。愛知県犬山市にある 国宝犬山城と明治村 を見に行く。40名の団体である。名神高速道路は途中渋滞の表示があったが尼崎を8時にでて 11時に犬山城下に着く。雨は小降りだが止みそうにない。依頼してあったボランティアガイドの方が駐車場 で待っていてくれる。駐車場のところが城の入り口であるが、ここはすでに二の丸である。「じゃ、三の丸は どのあたりですか?」と聞くと、「市内です。枡形(武兵が待機するところ)も市内に跡があります。」
1時間15分の犬山城の見物を終り、犬山下で昼食(鮎の塩焼き が美味しかった)をとり、午後は入鹿池ほとりの明治村に向かう。犬山城下から30分あまりで正面玄関に着く。 正確には 博物館明治村 である。正面入り口は旧第八高等学校正門(名古屋市)である。明治時代への タイムスリップの入口だ。閑散としている。観光バスが見当たらない。人影が無い。休館日は調べてきたから 営業している筈である。「もしや、臨時休館か」が頭をかすめる。バスが着くと、切符売り場からお兄さんが 飛んで出てくる。「いらっしゃいませ。」愛想よく、大きな声で呼びかけてくる。ほっとする。
犬山城は日本で唯一個人(成瀬家)所有の国宝である。 管理団体は犬山市である。天文6年(1537)に造営され、明治4年廃藩置県で廃城となったが、天守閣は の残った。明治24年の濃尾震災で天守が一部破損したが、修復され、その後昭和36年〜40年の解体修理 復元で現在にいたっている。
犬山城岩坂門跡 犬山城鉄砲櫓
城造営以前より鎮座していた針綱神社や文政12年に造られた 常夜灯ある。駐車場からすぐに上り坂になるが、行くときはそんなに感じなかったが、帰りに坂の上にくると、相当な 急坂で「こんなところ登って来たかな」と思わず呟いた。
犬山城内針綱神社 犬山城内常夜灯
犬山城の石垣は「野面積」といわれる自然の形のままの岩を積み上げたものである。その横には、大きな杉木が あったが、台風で城に倒れたので、切られ根元部分だけのこされていて、御神木として祀られている。
御神木大杉様 野面積の石垣
城は防禦第一で敵が容易に上がってこないように階段は急で狭い。登るのに手すりに掴まりながら 一苦労である。各階の間も狭い。有名な唐破風の間は趣きがあって良い。
城内部の狭くて急な階段 有名な唐破風の間
天守閣から木曽川河畔を見るが雨で視界が悪い
博物館明治村は入口から既に始まっている。単なる入口ではない。赤いレンガを積み、白い石を帯のように 入れ、細い鉄材で造ったこの扉は明治時代の典型的な形である。名古屋にあった第八高等学校正門である。 入場券代わりにくれる村内地図を持って1番の正門から67番目の帝国ホテル中央玄関へ行き、帰りはSL列車 と京都市電をのりついでもどってくるか、最初に一番遠い帝国ホテルまで、市電とSLかボンネットバスで行き、 見物しながら歩いて戻ってくるかのどちらかである。
西郷従道邸二階の居間 従道邸ダイニングルーム 瀬戸焼の暖炉
今回は普段公開されていない西郷従道邸の内部までガイドにより、説明があった。特に、瀬戸焼の暖炉は 模様が右から松島、天橋立、宮島と日本三景になっているのが素晴らしい。家具調度も明治時代のものであるから 荘重で優雅そのものである。現代の薄っぺらな合成樹脂が張ってあるものとは格段の差がある。調度そのものに 存在感がある。
深緑の中に聳えたつのは、中世ヨーロッパ風の教会のデザインを取り入れた建築家ガーディナー(アメリカ) 設計した聖ヨハネ教会堂(京都市)である。二階はは木造である。三重県庁舎も木が使われるなど温かみのある 内部構造になっている。
聖ヨハネ教会堂(京都市) 三重県庁舎(明治12年)
町屋(店の表の幅が狭く奥行きが長い家)の東松家住宅は地震の多い日本では珍しい木造三階建である。 旧帝国ホテルの内部はさすがに荘厳華麗の一言に尽きる。
東松家住宅(明治34年) 帝国ホテル内部
京都市電 尾西鉄道蒸気機関車1号 ボンネット型乗合自動車
環境保護の乗り物として脚光を浴びるようになった市電だが、乗降口に扉がなく鎖だけという昔の京都市電 に乗れるのはここだけである。今はないが、昔は1等から3等まで客車のクラスがあった。2等車は青、1等車は 白?のラインが引かれていた。
三等客車内部 京都市電運転台

写真と文 上野 栄三

(参考文献)
博物館明治村ポケットガイドブック   博物館明治村編集 名古屋鉄道株式会社発行 H.13.3.1
博物館明治村パンフレット(村内地図) 博物館明治村
国宝犬山城パンフレット 犬山城管理事務所
日本遺産NO.31 「犬山城・明治村」 2003.6.1
  歴史街道スペシャル 「名城を歩く 名古屋城・犬山城」 2003.4.1