今年(06年)の夏は例年以上に暑い。連日、猛暑である。8月11日から盆休みに入る 会社が多いので、電車は混んでいる。乗り換え駅ですばやく行動しないと座れない。 岡山駅、宇野線の乗り場はメインホームの西端である。備前西市は二つ目の駅である。 一つ目の大元で先日、不発弾が出てきて、電車が停まった。備前西市は無人駅だが 車掌が降車客の切符の回収をやる。
天満宮 天満宮随身門 西へ向かう往来
北から降りてきたこんぴら往来はJR宇野線備前西市駅の手前で右折して西に向かう。 すぐに、往来を右に入った所に天満宮がある。広くて大きくはないが、随身門があり、 矢大臣、左大臣が鎮座している。街道を出て西に向かう。途中、広い交差点をよこぎる。
広い交差点 さらに西に向く 題目石
川(というより農業用水路)につきあたるまで西に歩を進める。途中、右側に題目石がある。 突き当りを左折して、南へ、相生橋までさがる。
往来脇の用水 灯篭・記念碑・石柱 石柱(地水二神)
つきあたりえお左折した左側の家の庭と思しき所に、皇紀2600の記念碑と灯篭、その横に 背の低い石柱があり、「地水二神」と読める文字が彫られていた。
水門 米倉港碑 米倉港灯篭
この辺りは用水路及び川がよく目立つ。昔は田畑だったところなのだろうか。用水路には 水際に階段があり、洗い物などに使用していたと思われるところが、随所に見られた。 笹ケ瀬川に流入する所にも大きな水門がある。往来が笹ケ瀬川に出た所は、1887年までは 渡船場があった米倉港である。由加山や金比羅山への参拝人を中心に一日焼く1000人もの 利用があったのである。(岡山市河川港湾課のホームページより転載)
相生橋 相生橋より見る大樋橋 神社標柱(安政五年)
笹ケ瀬川を相生橋で渡る。右手に大樋橋がみえる。橋を渡ってしばらく行くと、右側に 神社標柱(石造り)が二本建っている。右側に「安政五年」と彫られており、左側は「下組氏子中」と あるがどこの神社なのかわからない。
吉浜・尼上庵碑 三社宮鳥居 三社宮
往来を西へと進んでいくと、右側家の塀のところに石碑があり、「吉浜・尼上庵」とあるが、あとで調べてみても 何があったのか分からない。そこを過ぎて、しばらく行くと八幡宮があると案内図にはあったのだが、わからない。 たまたま、工場から出てきた女性に、「この辺りに八幡宮があるのですが、どの辺りですか」と聞くが、八幡宮? と首をかしげていたが、自転車屋の所を左に入っていった所にあるお宮かなといわれたので、行ってみると 「三社宮」であった。
三社宮大木 三社宮狛犬(備前焼) 三社宮狛犬(備前焼)
往来から100米ほど、左にはいってた小さな森に「三社宮」鎮座する。この辺りの地名は「大福」である。 鳥居の横に大木があり、入ると備前焼と思われる狛犬がいる。随身門があり、随身門に使われている木材は 防虫のために表面が焼かれていた。拝殿も立派である。この地方の氏神である。
三社宮
中大福の氏神である。江戸時代の後期、文化五年(1808)頃、この地方に疫病が発生した。 之を鎮めるため、福山の祇園宮(沼名前(ぬまくま)神社)から分祀されたものである。当時は、 医療機関もなく、神仏にお祈りするばかりであった。その後、天照大神と八幡明神が合祀され 三社宮と称されている。(岡山市福田地区地域活性化事業実行委員会の説明より転載)
題目石 妹尾へ向かう 妹尾戸川陣屋井戸
三社宮を後にして、こんぴら往来に戻り、妹尾をめざす。右側にある題目石を目に留めて、 さらに西へ歩いていく。遥か向うに山が見えてくる。JR妹尾駅の北側の小高い山である。 山の手前で往来は左へ大きくカーブを描いて妹尾の駅前に近づく。丁度、妹尾駅より北へ 上がってきた道と出逢う所に大きな井戸がある。戸川陣屋井戸である。
戸川陣屋井戸
この井戸は妹尾の旧領主(戸川氏)の陣屋にあった井戸で、明治になって陣屋が廃止された後も 飲料水の不足に悩む土地の人々が利用した。井戸の覆屋は四本柱(栗材)に入母屋造り瓦葺、井筒は 花崗岩の切石を一辺1.22メートルの正方形に組み合わせ、柱間には延石を敷き詰め、腰高の礎石と ともに水周り良くしつらえている。当時のままの姿をとどめている。
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