| 一年前の夏、2003年8月19日にこのコースを歩いたときに佐野峠を時間の 関係で通ることを断念した。「山陽道」(山口県教育委員会編集)が出版された当時は 山陽自動車道がなく、したがって佐野サービスエリアなどなかったときである。ただ、佐野から 南へ下がる道、台ケ原、遠ケ崎を回り岩淵へ行く道ができたので、旧街道は人が通らなくなり 分からなくなっているとあった。まして、その後自動車道ができて、サービスエリアができるとなると 完全に旧街道が壊れてしまったのではないかと思われた。今回は旧街道が割合確認できる 岩淵から佐野へ抜けることにした。 |
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| 小雨が降ったり止んだりしている日であった。台風18号の前触れの雨であった。 翌日、小郡に閉じ込められるとは、このときは考えもしなかった。山陽本線の大道(だいどう)で降りる。 地名は「台道」になっている。長沢池からの旧山陽道が北の西山からくる県道との交差点にある道標から 横曽根川へ向かう旧道へとはいる。2号線を横切り川に出たところではしを渡り、田畑の中を通り岩淵集落 に向かう。 |
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| 岩淵の集落の端、佐野峠の山道にさしかかる手前の住宅地の中に地蔵尊があり、反対の右側に 灯篭がある。山陽自動車道をくぐると、今は舗装されているが佐野峠の入り口である。立て看板 (写真下左)がある。 山陽自動車道をくぐる手前、道の左側に周防三孝女の一人、於石(おいし)の碑(写真上右端)が建て られている。この舗装された道は佐野サービスエリアに水を供給するために作られた給水設備への道で ある。 |
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| この舗装道路の山側に斜めに入っていく細い地道がある。少し入ると柵がしてあり、ずっと奥に 入っていけないが、これが旧街道である。路の右側に白い柵がしてある。舗装道路を登って行くと 整備された公園に行き当たる。佐野たお水道公園である。説明によると、昔は景勝の地であったらしい。 現在では、自動車道のサービスエリアが出来たり、海岸線が後退したのでそのような景色は望めない。 |
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| 防府市水道局がサービスエリアおよび付近一帯の給水のための設備を作ったときに、旧山陽道の 籠立場等を当時の状態を再現して保存する公園にしたもので、説明版にも詳しく書かれている。 公園から東の佐野の池に抜ける道は、ちゃんと矢印で示してある。薄暗い森の草が生い茂った路で あるが100メートルで下の路に抜けることが出来る。ただ、東から来ると、この入り口に看板がなく、 薄暗いので避けて通り過ぎてしまう。 |
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| 公園の上にあがると、旧街道が西へと山際を通っているところがよくわかり、しばらくは、白い柵の ある路を下っていけるようになっているが、途中で山崩れで路がふさがっているようである。(舗装道路 から見ると白い柵が途中で無くなっている。200メートルくらいは辿れそうであるが、途中からは下の 舗装道路には降りることができない。ここは、舗装道路を行くより仕方がないと思われる。 |
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| 旧山陽道下のサービスエリア | 水道公園からの旧道 | 山際旧道の西の出口 |
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| 池の南側を走る舗装道路はお墓への道である。 この道に標識はないが、ひだりへ入っていく小道がある。鬱蒼として気味が悪く感じられる 小道だがこれが旧山陽道で100メートル程で上にある水道公園にでる。 | 水道公園にあがったところは籠立て場である。 見晴らしのよいところの西に山際を通る白い道がみえる。通行止めになっていないので、 入っていくことが出来るが、途中で山崩れで通れなくなっているのではないかと思われる。 これは上に上がったところの標識。 |
| 佐野水道公園 昭和61年に山陽自動車道佐波川サービスエリアの給水と市内西部地区の安定給水を図るため 容量2000トンの配水池を建設した折に旧山陽道の籠立場の史跡の保存を含め環境を整備した ものである。文化2年(1805)に台道の庄屋上田少蔵が太田南畝(蜀山人)を案内し、彼の書いた文 により著名となった。「注進案」に「中国路随一の見晴能所也」とあり、以来数多くの文人により称揚 されている。(防府市水道局説明板より) |
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| 佐野峠を西へ下りて少し南へ下がったところに岩淵山観音寺がある。大同3年(808) 弘法大師諸国巡歴のおり、山肌の奇岩と瀬戸の風光み感動、霊域として開創したと伝えられる。 山腹の観音堂には大師開眼による子安観音菩薩、本堂には聖観世音菩薩を本尊としてまつり のち大内19世多々良弘世朝臣により周防国台26番の観音霊場となった。 |
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| 岩淵観音寺(写真上左)の梵鐘(写真上右)は寛永19年(1642)吉川広正に嫁しだ 毛利輝元の長女が鐘楼とともに寄進したもので、鋳物師は塚本信久である。萩城下に召しだされる 前、三田尻に在住していた時代のもので、その鋳造にかかる梵鐘の中では現存するものの最古の ものである。又同時に、近世における防長梵鐘の最初のものであり、防長鋳金史上の貴重な遺品である。 |
1.国土地理院発行二万五千分の一地図「福川」「防府」
2.太陽コレクション「古地図散歩 京都・大阪・山陽道」 1977春季号
3.旧山陽道 山口県教育委員会歴史の道調査委員会編 1985
4.山口県の歴史散歩 山川出版社 1993.8.30
5.「ふるさとの道」 山口県ふるさとづくり県民会議編・発行 昭和61年
文と写真 上野 栄三
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