> 山陽道(神戸市垂水〜明石市西明石)


このコースのハイライト五色塚(千壺)古墳から見た明石海峡大橋
1月8日は冬型の気圧配置で風が強くお陰で遠くまで良く見えた


神戸市垂水区塩屋から西明石までの区間は塩屋から明石までは海岸沿いに 歩くことになる。明石市内を過ぎ大観橋を渡ってしばらく北上すると、道はそれから北西へとJR山陽線とほぼ 平行に内陸部に向かうことになる。西明石を過ぎると山陽道は昔の道らしく細くなる。JR線塩屋の次は垂水だが 山陽電鉄はこの間、滝の茶屋、東垂水と2駅ある。塩屋〜垂水間は2号線で車の通行量が多く排気ガスを吸うこ とになる。みるべきところは何もないのでとばしてもよい。特に冬場は海岸からの風がつよく、歩くのに余計な 労力がいる。




皇大神社 宝の海神社
2号線を西へたどって、福田川をこえてしばらくして右折した所にある「大神宮さん」祭神は天照大神。例年6月 1日に子供らが書いた奉納行燈がかけられる。 皇大神社からでて2号線を横切り垂水漁港にでる。しばらく歩くと赤い大鳥居が見えてくる。大鳥居のすぐ横に にも海の神様を祀った神社がある。
海神社の大鳥居 海(わたつみ)神社
「かいじんじゃ」とよばれ、漁業繁栄・交通安全の神として親しまれている。神功皇后が征韓の帰途 海神を鎮祭されたのを創祀としている。 海神社は官幣中社である。海の神様=えびすさんでもないと思うが、9日10日と大祭があるので露店の準備 がしてある。
遊女塚 小壺古墳 五色塚(千壺)古墳
山陽道を離れ北へJRと山陽電鉄をくぐり山側へ、広い通りを5分ほど行った道の左側に 大きな標柱があるのですぐわかる。垂水沖で溺死した遊女の供養塔とつたえられている。 宝きょう印塔という形で塔自体が大日如来で建武4年(1337)士忠禅師によってたてられた。
遊女塚からもと来た道を100メートルほどくだり、五色山マンションのよこの北西へ入っていく 急な上り坂を歩く。果たしてこれが五色塚古墳に抜けれる道なのかと思うほど細い急坂である。その道を 上がりきると、住宅街にでる。西に向かうが途中で左折しなければ古墳へはいけない。
五色塚古墳は神戸市が管理しており、管理事務所(発掘物展示場を兼ねる)で記帳のうえ入場する。 西側に直径67m・高さ9mの小壺古墳がある。大きい方が五色塚古墳で全長194m、後円の直径125m 高さ18m、周囲に幅約10mの空堀をめぐらしている。前方部の斜面の黒い石は古墳から掘り出されたもの。 淡路島から船で運んだと文献にあるということである。入場は無料だが、月曜日と年末年始は休館。開場時間 は午前9時から午後5時までとなっている。


五色塚古墳の入り口にあるモニュメント
阪神淡路大震災から3年後の4月5日の明石海峡大橋が完成した。震災のとき、基礎は出来 2基の主塔は完成していた。丁度1ヶ月前、平成13年12月16日に五色塚古墳の空中写真が撮られていた。 古墳の管理事務所に掲示されていた。主塔2基が明石海峡に高々と聳えている様子がみてとれる。 僅か1ヵ月後に大地震がこの町を襲うとは知らずに。大地震は主塔を何10センチずらしただけであった。 全長3911m、主塔と主塔との間の距離1991m、主塔の高さ293.3mの世界一のつり橋である。 愛称をパールブリッジという。日没後の定時に7色に輝くライトアップがあり美しい。 橋のたもとの「移情閣」となずけられた孫中山記念館は山手にあったものを橋の完成に伴って現在地に移された。 中国人貿易商の呉錦堂により大正4年ごろ建築された洋風の美しいたてもので橋の景観とマッチしている。


舞子公園側から見た移情閣と明石海峡大橋
延命地蔵(たたき地蔵) 舞子六神社
地蔵さんの前に木槌がおいてあり(信者が奉納)それでもってお地蔵さんをカンカンと たたいてお願い事をするところから、「たたき地蔵」と呼ばれている。文政8年(1825) に漁船の安全と悪病が入り込まないことを祈願して安置されたといわれる。 元禄2年(1689)の創建と伝えられている。江戸時代前期に明石岩屋神社からご分霊を勧請して おまつりしている.7月24日に400張ほどある行灯掛けがおこなわれる。
きつね塚古墳 大蔵海岸
六神社から2号線(旧山陽道)は山陽電鉄「西舞子」駅のすぐそばを通り、大蔵海岸へと向かう。 山田川をわたって、北西方向への坂道をあがっていくと、鐘紡舞子倶楽部(非公開)過ぎて裏に回りこむと 公園がある。きつね塚古墳である。西暦580年ごろのもので、横穴式石室があ全長4.5m直径24m で、六世紀後半にしては例のない二重の堀がめぐらされていたが、今は周りが団地で塚だけあるだけである。 きつね塚古墳から団地を抜けて大蔵海岸にでるのだが、途中「朝霧」駅を通ることになる。平成13年夏に 花火大会で混雑しなだれ現象がおき、多数の死傷者をだしたところである。普段の状況で見ると、よくこんな ところでと思う場所だが、想定以上の人数が集中したのであろう。また、海岸は最近砂の陥没により幼児が 埋まったところである。いずれも、むかしは歩道橋も海岸もなかった場所である。
2号線との分岐に建つ題目石 八幡神社 稲爪稲荷神社
国道2号線は朝霧駅のところで28号線が分岐する。さらに西へ歩を進めると山陽道は 国道2号線と朝霧川西詰め(架橋はない)で別れて、大蔵谷の旧集落内へ入る。その分岐点に 台座からの高さ約6.5mある題目石が建立されている。「山陽道」の本では「古い街道景観が 残っている」とあるが、平成14年ではそのような面影はない。 大蔵谷集落内は地蔵尊がところどころにある。集落内に入ってすぐに八幡神社がある。 祭神は鴨部の大神(越智益躬)である。穂蓼(ほたて)神社とも書いてある。宝永2年(1705) の建立である。大蔵本町の交差点から北に90m入ったところに稲爪稲荷神社がある。旧集落内 に赤い幟がはためいている。推古天皇代に建立され、祭神は大山祇園大神、百足大神、小皇根大神 である。
休天神 菅原道真馬止めの碑
稲爪稲荷神社から山陽道を離れてきたに向かうと国道2号線に面して菅原道真が九州へ行く途中に一休みしたといわれる 休天神社がある。 休天神社の鳥居を入ったすぐ右わきに「菅公駐駕驛長宅址」と書かれた標柱があり、その手前になにやらかいた石 があるが内容が読めない。
両馬川旧跡 馬塚の石碑
休天神社から200m西へ行くと北からの柿本神社からの道と交差するとこにでる。この道を北に上がっていくと山陽電鉄 高架下に「両馬川旧跡」の石標がある。 さらに北へと上がる。明石天文館にもうすぐ着くという手前に「馬塚」の石柱。説明板に曰く、「寿永3年(1184) 一の谷合戦に破れた平氏は西へ落ちた」。奢る平家の哀れな末路の跡をとどめる標石である。
明石藩主菩提所案内標柱 人丸山柿本神社標石
柿本神社へ行く道の途中、明石天文館の入り口すぐ傍に「明石藩主菩提所」の案内標柱が駐車場入口にある。 さらに北に上がっていくと「人丸山柿本神社」の標石がある鳥居に到着する。鳥居をくぐると柿本神社・月照寺への 参道の石段である。
最近、「子午線の夢」という副題のついた伊能忠敬を描いた映画が公開された。東経135度大日本 標準子午線にある明石天文館を訪れる人も増えたことと思われる。明石天文館は月曜日が定期休館日で、それに加えて第2火曜日 が特別休館日になっている。ちょうど、天文館の案内板をよんでいるときに、うしろから声がかかり、「残念でしたね。 きょうは休館日で」、うしろを振り返ると老夫婦がたっており、「私たちは山陽道を歩いており、天文館にきたのではありません」 と伝えると、男の方が、「家内と二人で尾道からわざわざ車をとばしてきましたのに」と嘆いておられた。「博物館」 でも見て帰りますといわれた。月1回の休館日なんて他県の人には分からないのが普通である.美術館等にも 特定休館日があるので遠くのところへ行くときはあらかじめ調べておく必要があると思った。


大日本中央標準子午線通過位置柱
人麻呂の歌碑 人丸山柿本神社 月照寺山門
柿本神社の参道へ入る手前に人麻呂の歌碑がある。百人一首にもある歌で、「あしびきの山鳥の尾のしたり尾の ながながしき夜をひとりかもねん」が刻まれている。階段を上がると柿本神社である。同じ並びの西端に月照寺の 山門がある。元和4年小笠原忠政が徳川秀忠から伏見城薬医門を拝領、明石城の切手門とする。明治6年月照寺山門とした。

薬医門とは正面に本柱をたてて扉をつけ、背面だけ控柱を立てて、本柱と控柱を同じ屋根の下に収める門をいう。 京都の妙心寺南門がこの門である。

岩屋神社 伊弉冊神社 伊弉諾神社
月照寺から山をおりてJR,山陽電鉄をくぐり、山陽道にもどる。高速船のりばのまえを通って山陽道は そのまま明石川へむけて西進するのだが、明石港にそって海岸を左折して南に下ると、岩屋神社がありここで西に 向かうと伊弉冊(いざなぎ)神社、伊弉諾(いざなみ)神社を訪れることができる。

明石の浦の前浜の六人衆が淡路の岩屋に鎮座する神をこの地に迎え、海難防止と豊漁を祈った。明石にあるの 対岸の岩屋の名前がついているのはこのせいとおもわれる。海の神様であるので、1月9日、10日はえびす祭りである。 奉納するマグロをもってきて置いたところである。ちょうど、参拝客があり、「まぐろの頭の向きが違っているよ」(写真は 最初に置いた状態)「魚の頭はお客さんから見て左にないと、神様でも同じと違いますか」といわれて、後で、正しい位置に 頭のむきを変えられた。恥ずかしいことながら、私も知らなかったので勉強になった。このマグロに祭りの当日硬貨をはりつけるのである。カチンカチンに冷凍してあるので張り付くわけである。その後は、解体して食べるわけである。十数人分の大トロ が取れるそうである。さぞかし、おいしいだろうとつばきを飲み込み、神社を出た。
この区間(明石川〜西明石駅)は大観橋(山陽道の明石川にかかる橋。因みに、国道2号線の橋は 明石大橋である。)を渡ってから、西新町(昔、皇子村ーわうじむらーといった。「明石川より西の驛道。長き町にて西新町 という」《播州名所巡覧図会》)を通り国道175号線と合流するあたりとJR西明石駅の付近は旧道の復元難しいところである。住宅密集地で昔の面影はない。


大観橋西詰 西新町 国道175号線との合流点
明石川にかかる大観橋をわたり右にみえる細い道にはいっていく。昔、皇子村と云い村の北の森に 王子権現があったところである。しがらく、西進、大坂屋質店のところで右におれて北上。寶珠山十輪寺(通称、八躰薬師) の前の車道より一つ入った細い道なのだが、家が建て込んでいて辿れない。

慶明山坂上寺 和坂(かにがさか)
山陽道が国道175号線を東から西に横切ると、幅3〜4mの昔の道らしくなる。 国道から入って120mいくと右側に坂上寺がある。「蟹が坂口、右の丘也。女の高野といふ。」 (播州名所巡覧絵図より)この付近に昔、大きな蟹が出てきて、旅人に悪さをしたので、「蟹が坂」という名が ついている。のちの世になって、「和坂」と書き改められたが、読みがそのまま、残ってしまった。
新明石33所第十番札所福林寺 和坂を通る山陽道
和坂をあがると福林寺への方角をしめす標柱があり、右折してしばらくいくと、新明石西国33所第十番 札所である。再びもとの道にもどり西に向かう。国道2号線にでるが、100mほどで左斜めに入る道がみえる。これが 旧山陽道である。
国道2号線よりの分岐点 山陽道がまた始まる三社神社 三社神社本殿
国道から分岐した山陽道は商店街の中を抜けてJR西明石駅(新幹線)高架下に出る。 ここで、高架下をくぐる道路により、寸断される。再び、山陽道が姿を出すのは、道路の西側、国道2号線 の左側にある三社神社よこである。八幡大神、皇大神(天照大神)、春日大神をおまつりする神社である。

写真と文と地図 上野 栄三

(参考文献)
山陽道(西国街道) 兵庫県教育委員会歴史の道調査部会編

播州名所巡覧図絵  柳原書店(昭和49年版)

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