
| 前回のコース(西明石〜東加古川)でよく目にした言葉である。 調べてみると、この言葉は坂村真民という詩人の言葉である。 1909年熊本県に生まれ、神宮皇學館卒で1946年以来四国 に移り住み、1962年「詩国」創刊、「念ずれば」の詩碑は日本 全国、海外に広がって2001年5月で597を数えるということで ある。 |
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東加古川を通る山陽道はJR駅前から西に進んでショッピングセンター 更にその西側の高層住宅で寸断された後、再び西へと向かう。 | ![]() |
| 高層住宅の西側から姿を表す旧山陽道を辿ると約350年前の創建と 伝えられる野口神社に行き着く。その東角に日岡町の町石が道の右側 にある。 |
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比叡山麓日吉神社よりご分霊をお迎えして、4柱の神を併せ祀って 明治の初めに野口神社と称したと由来書にある。この鳥居の南側にも もう一つ鳥居があるので、もともと参道はもっと南側だったのだろう。 |
| このまま西に行けば念仏山教信寺法泉院の門前に至るのだが、国道2号線 をこえた南側に加古の驛(うまや)跡があるので、寄り道する。現在大きな池になっている。 | ![]() |
加古の驛跡から2号線を横切り教信寺の門前へと向かう。「清和帝(9世紀後半)御宇(統治期間)に 封境広大にして僧院50余坊あり・・・・」(播磨名所巡覧絵図より) | ![]() |
| 驛(うまや) は大化改新以後漸次整備され、大宝令に至って詳しい規定が設けられた。30里(今の約5里) に一驛を原則としたが、そのようにはなっていない。驛は郷と同様一つの行政区画で一人の驛長がおかれた。 大路(山陽道)の驛には馬20匹が常備されるようになっていた。(小学館百科事典より) | 教信は平安時代前期の念仏僧で賀古の教信 または教信沙弥と称した。住居の西方に垣を設けず、本尊を安置せず、また聖教を持たないで 念仏だけを行ったという。後、親鸞は教信を尊敬し、その生活を範としたといわれる。(「日本歴史大辞典」(河出 書房)より) |
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教信寺から130メートル西へ進んだ路地との交差点に野口村道路原標が建っている。コンクリートで固められた 土地の上で、しかも家の角ですぐ傍になにか建っているので注意しないと見落としてしまう。 | ![]() |
旧坂元集落の中を通る山陽道は幅4メートル余りである。再び2号線に 出るまでに観音寺と和泉式部のの塔といわれている宝篋印塔がある。宝篋印塔は南北朝時代の ものと推定され県指定文化財になっている。 |
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