林田川と揖保川に囲まれた竜野市の写真は 平成14年3月3日当時のもの。揖保川を渡ってから龍野駅前の街道風景は平成19年1月19日 現在のものです。

林田川を渡ると竜野市誉田町片吹である。街道は少しの間、南西に向かい、それから西に向きを変える。 まもなく、右側にある、「庄屋弥右衛門顕彰碑」の前を通り、宝林寺門前につく。石柱に「大燈国師誕生地」と 彫られているのが目に付く。京都大徳寺を開山した高僧が生まれた所である。寺は後に国師を偲んで建てられた ものである。宝林寺の西に小さな社、天満宮がある。
揖保町門前の乗願寺(写真下左)から街道は南西に進み、県道を横切る手前の中臣の祠を 右に見て、新幹線が走るほうへ近づいていく。小学校の南、街道脇に半ば埋もれかかった揖保村 道路原票がある。新幹線を左に見ながらやや南西に向かう街道は揖保川町今市で大きな工場が 出来たために途切れてしまう。次に、旧街道が姿を現すのは、正條の渡しのあった、揖保川の西、川の 右岸である。
揖保川大橋を渡り左に折れて、堤防沿いに南下する。JR山陽本線をくぐると、川の右岸は狭くなる。 乗用車がぎりぎりで通れる位の狭さである。昔は、松並木の道だったらしいが、現在は大きな木が2〜3本 あるだけの殺風景な小道で、「正條の渡し」の標柱がなければ、旧山陽道が通っていたとは分からない。
「正條の渡しの標柱から少し南へ下がり右に折れると、浄栄寺がある。正面から見る山門は 立派である。この門は、元龍野城の大手門だったのを、明治の廃藩置県の際、城主脇坂安斐守が 寄付されたもので瓦の「輪違い」は脇坂家の紋である。見張り番のいた二階造りの部屋がついていると言うことと 釘を使わないで組み立ててある総欅(けやき)造りが特徴である。浄栄寺から少し西に行くと、右手に郵便局があり、 道標がある。その隣は本陣、井口家である。
昔、大名が宿泊した井口家は、時代が変わって明治天皇が御休止されたとこでもある。立派な家である。 特に、「明治天皇御駐駕所碑」と刻まれた大きな石塔が聳え立っている。
井口家本陣から真西に進むとJR龍野駅前に出る。竜野駅北側2号線のすぐ北に大きな神社が めに入る。色彩が鮮やかであるが、古い神社である。丁度、お参りに来ていたお年寄り(といっても 私と同年代、昭和九年生まれ)に聞くと、元は後ろ(北)の山に奥の院があり、よく山頂からすべって 遊んでいたと言われた。ご祭神は大巳貴命、少彦名命である。境内にある「石神」は「播磨風土記「の神山、此の山 に石神あり」とされるもので、古くから神の岩として畏敬されてきた。昭和55年、境内地造成中、山頂から此の大きな 石があらわれ、石神の心岩であるとして畏れ、これを祀った。
この神戸(かんべ)神社のうらの山(写真下左・建物後の山)は、地図上の形からして前方後円墳と思われる。 駅前のイラストマップにも北山古墳群と記されている。がしかし、神社の宮司やお参りに来ていた人、 山の麓で畑仕事していた人に尋ねるが、古墳らしい跡を見たことがないと答えが返ってくる。 ある本によると、此の山は昔長谷山の城と言われるものがあり、旧山陽道を旅する人を見張っていたと 出ていた。後円にあたるほうは竹林で、中に入ってみると、石段の跡があり(写真下中)、石垣の一部と おぼしきものがある。(写真下右)通行可能度のよい林で、普通の竹林なら、無いものである。
龍野駅前に円形のモニュメントがある。彫刻家、新谷e紀氏の作品。ローマ神話より、門を守り、物事の 最初を司る神”ジァーノ”に因むものである。創主を意味する男女二面の顔を持つ像である。(説明版より)

[参考文献]

2万5千分の1地図「姫路北部」 「網干」 国土地理院発行

「山陽道」 歴史の道調査委員会編 兵庫県県教育委員会発行

「播磨の街道」橘川真一著 神戸新聞総合出版センター発行2004.1.25

写真と文 上 野  栄 三
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