平成14年3月3日歩く平成19年1月12日再び歩く
JR姫路より姫新線に乗り換え「播磨高岡」で下りる。姫路市内から北西に進んで 来た街道はJR線を高架でまたぐまで、2号線上を歩む。平成19年1月12日現在 2号線は拡張中である。お蔭でJR線は鉄筋コンクリートの壁の谷間を走るようになっている。

JR姫新線の高架を降りたところで2号線の北側から細い道が2号線に平行して 西に向かっている。旧街道である。分岐する所は、下手野2丁目であり、再び合流する 所は青山2丁目である。古い町並みを西に進んでいくと、右手JR線越しに小高い山(船越山)が見える。 麓にあるのが船越神社である。
古い家並みを歩いて行くと、下手野公民館が右側にあり、その前に新しく「西国街道」の標石が 立てられていた。
もう少しで夢前川に着くというところに、道の分岐と小川が交わる地点に「圓光大師二十五霊場」という 道標が立っている。別の側面に「右第一番みまさか誕生寺道」と彫られている。因幡道にあったものを 明治時代に移設したものではないかといわれている。
小川と道の分岐に立つ大きな道標のある道を手前を右に入った所に来法寺(写真は鐘楼)があり、夢前川の 渡河地点手前の道路わき(左側)に大きな常夜灯がある。江戸時代に手野村で一番大きな旅籠の桔梗屋が 奉納したといわれる。「金比羅大権現、文政十年丁亥年(1827)」と彫られている。この宿の本陣格だったと 思われる。(「播磨の街道」より)
昔の「中国行程記」では青山村と手野村の間に流れている川を青山川と記しているが、現在は 夢前川(ゆめさきがわ)と呼ばれている。昔は徒渡りだったらしい。今は、少し南に2号線の夢前橋という 立派な橋が架かっているので、昔がどのようなものであったか想像できない。
夢前橋を渡り、元の渡河地点より再び西に向かう。県道を横切り旧街道に入る所に姫路市内で最大の 五角形(花崗岩製)の道標が立てられている。安政二年(1855)の建立で、昭和52年3月姫路市の重要 文化財に指定されている。南面に「左、備前・九州・金比羅・宮島往来、西側面に「すぐ姫路・大坂・京・江戸」 と彫られている。
五角形の道標から旧街道に入り、小川を渡ると教専寺が左側にある。門前横に「播磨仙人了空翁誕生地」の碑がある。 古い家並みが残っているようである。街道の右側に鳥居と常夜灯がある。鳥居の傍に「射目崎神社」の標石がある。 稲岡神社である。地図には「稲岡神社」で出ている。
稲岡神社鳥居 射目崎神社標石 稲岡神社
青山八景の碑 元禄12年の絵馬 夢前の松
上の6枚の画像は平成14年3月に歩いた当時のものである。稲岡神社は丸山という小高い山にあり、 名勝地であったのであろうか、青山八景の碑(雲晴れて山路さびゆくみやしろの神代のあとをとふあらしかな) や「夢前の松」がある。
青山八景
1.錦戸春雪 2.歌書ガ淵 3.南海漂船 4.山荘晴嵐 5.義舎ノ夜雨 6.季が奥疎雁
 7.崇全寺・遠地風鐘 8.夢前川
稲岡神社を過ぎると、右側に坂道があり、柿本人麻呂を祀る「人麻呂神社」がある。 人麻呂が播磨国司だったころ、青山に住んで居たと言われる所である。さらに西に向かうと、 青山製紙組合の顕彰碑が建てられている。西に進んできた街道は、向きを西南にかえ、2号線に 合流する。
2号線は大きく半円を描きようにして太子町との境の青山4丁目へと続いていく。周りはビルばかりである。 カーブが西向きの直線に変わるあたりに、道が分岐する地点がある。道の左側に南東に向かう道と2号線に 平行して西に向かう道がある。どちらも道幅fが広いが、西に向かう坂道が旧山陽道の山田峠への道である。
元は狭かった旧道の坂道を登って行くとホテルの裏で道が真南に向きを変えて峠の頂上にでる。 直角に向きを変えるところにお地蔵さんがあり、板に「旧山陽道山田峠登り口」と書かれたものが 置かれている。(写真 上右)峠から太子町である。
太子町山田〜太子町東出へ