昔は厳しい坂だったと思うが、今は舗装されて道幅も広いので歩きやすくなっている 山田峠を下りると、北側の山裾をまいて、原坂を上り下りすると、あとは平担地で相生まで 途中の集落を通っていく。

下る途中、自動車道路の高架をくぐる前に、「明治天皇山田御小休止所」の石碑がたった大きな家がある。 そこを過ぎ、自動車道路の高架をくぐると、また2号線に合流し、右側にある山裾を巻くようにして、道は 原坂に向かう。合流地点には題目石が聳え立つ。
街道右側の山は、南斜面は墓地公園になっており、幅広い道路が公園内に通じている。左側は2号線と 新幹線が接近して真西に向かってている。街道は、まもなく山に沿って北西に題目石のあるところから 登り坂になる。両側は駐車場で、道の両側に幟がはためき、左側にある「健康ランド(温泉と大衆演劇)」 をPRしている。平成19年1月1日にオープンしたばかりという。5年前の写真を見ると、左側に健康ランドの 建物があった。大衆演劇をやりだしたのが、今年からだとフロントの人が言っていた。姫路から送迎バスが 出ているということであった。昔のヘルスセンターである。今は、見かけなくなったが、郷愁を呼び起こすのは、 私が、年をとったというせいであろうか。
街道右側の山は、南斜面は墓地公園になっており、幅広い道路が公園内に通じている。左側は2号線と 新幹線が接近して真西に向かってている。街道は、まもなく山に沿って北西に題目石のあるところから 登り坂になる。両側は駐車場で、道の両側に幟がはためき、左側にある「健康ランド(温泉と大衆演劇)」 をPRしている。平成19年1月1日にオープンしたばかりという。5年前の写真を見ると、左側に健康ランドの 建物があった。大衆演劇をやりだしたのが、今年からだとフロントの人が言っていた。姫路から送迎バスが 出ているということであった。昔のヘルスセンターである。今は、見かけなくなったが、郷愁を呼び起こすのは、 私が、年をとったというせいであろうか。
原坂を登りつめると、右側に小学校が見えてくる。そこから少し下りた左側の竹林の中に「桜井の清水」( 播磨十水のひとつ)がある。 今は、井戸みたいに石で囲ってあっるが、古くは、旅人の憩いの場であったのであろう。いかにも、涼しげなところである。 竹林の中のオリエンテーリングのポストが目立つ。さらに少し下ると、右に二つの碑が鎮座する。一つは、「額田部連伊勢塚(ぬかたべのわらじいせづか)」、古代の 氏族で鋳物の型を作っていたといわれている。もう一つは、全国をお参りしていた六十六部の廻国塔である。
播磨の十水
播磨守護職だった赤松義村が定めたといわれ、名水を守るために水守を置いたといわれる。 1.野中の清水、2.糸井の水、3.篠井の水、4.小柳の水、5.御所の清水、6.苔の清水、 7.鷺に清水松、8.松カ井の水、9.亀の水、10.桜井の清水(当所)
「桜井乃水 黒岡にゆききの人も心あらは薬ともなれ さくらいのみつ(赤松広秀-龍野城主)」 の歌が刻まれている。
原坂を下ると黒岡である。ここから平坦な道で真西に林田川まで町中を進む。原坂の途中の右手にある 小さい石造り五重の塔を見て、しばらくすると常夜灯と鳥居が右手に見える。小さい石柱であるが、「片袖式古墳」 と書いたものが、鳥居の傍にある。黒岡神社境内にある藤原貞国の塚のことである。
黒岡神社は初め黒岡八幡といい、播磨国守護の赤松満祐が社殿を寄進、明治7年に黒岡神社と 呼ばれるようになったと言われる。神社境内には「天神寝牛石」と言われる大きな石があり、横穴式石室を 持つ円墳、貞国塚(県指定文化財)と呼ばれるものがある。
貞国伝説
奈良時代の天平宝字八年(764)に異国の軍船2万余艘が播磨の国まで攻め込んできた時、朝廷が 鉄を射通すという貞国を将軍にして、大勝を収めた。貞国は播磨の西五ケ国の大領になり、この地に住居を 構えた。没後、村人が黒岡神社に貞国を祀ったという伝説が残されている。
黒岡神社より西に向かっていく。しばらく行くと、右側に行基が作った言われる地蔵があり、太田の地蔵と 呼ばれている。旅人の信仰を集めていたようである。今でも、周辺が整備されて立派である。真っ直ぐ西に 向かい、南東から上がってきた2号線に合流する。手前の山裾に稲荷神社が見える。
太子町東出〜太子町下阿曽へ