このコースの画像は平成14年3月3日当時のものです。現在では景観が
変わっている所があるかもしれませんので、歩かれる方はご注意ください。
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林田川を渡った旧街道は東出で2号線と重なるが、そのまま真西に進路をとり北に斑鳩寺がある太子御津線の
交差点に至る。交差点手前500メートルで2号線は北の方へ外れるが、旧街道は真っ直ぐである。交差点近く、
遺跡の発掘現場を通ったが、現在は埋め戻されて駐車場か建物が建っているかもしれない。
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斑鳩寺がちかいので、この辺りに昔の住居跡と思われる遺跡の発掘現場が見られた。赤穂市坂越に上陸した
秦氏の一族?とも考えられないこともない。街道沿い電柱脇に「斑鳩村道路元標」が残されていた。さらに、
西に進むと、「聖徳皇太子」と彫られた常夜灯2基がある。斑鳩寺への参道入り口なのであろう。
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常夜灯の少し先の左の路地を入ると太子堂がる。この辺りは、西本町で街道の左手の高さ100メートル程の
山が目に入る。立岡山といい。新田義貞が居城したと言われている。西本町から初芝町に入り、
林田川近くの西阿曽に向かう。途中、式内阿曽神社と彫られた石柱が右手に建てられている。古代に栄えた
神社の石柱である。しばらく進むと、左側に建速神社があり、もう少しで林田川に着く手前に、茶屋垣内地蔵尊(
写真下中)が鎮座する。ここは、もと一里塚のあった場所といわれている。
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地蔵尊を過ぎると、林田川に出る。幅90メートルくらいの川で、この辺りは流れが細くなっているので、昔は
徒渡りであったと言われる。現在は、少し北側にある誉鳩橋を渡って、竜野市に入る。
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推古天皇14年(606)天皇から揖保郡の土地380町歩を賜り、大和国より移住し、当地を斑鳩荘と命名し
伽藍を建立したのが始まりとされている。ここで、採れた米を奈良へ運んでいたとお寺の人が説明してくれた。
大寺院であったが、天文十年(1541)戦火で消失、後、赤松氏により復興された。
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