「善は急げ」から旅が始まった。
2000年4月からパソコンを習いだして1年が過ぎた。 ホームページが作れるようにまでなった。テーマは既に決まっていた。そのためにパソコンを やりだしたのだから。その頃、西国街道と呼ばれている「山崎道」(京都〜西宮)を歩き、西宮から 西へ向かって歩きだそうとしていた。ネットを見ていたら、西国街道を載せている人がいた。早速 メールを送り、西(旧山陽道)のほうへ行きませんかと、声をかけた。メールが返ってきた。同じ 市内に住む人だった。「善は急げ」で2001年6月11日市内の公園で落ち合い、二人の旅が 始まった。
明石くらいまで行けそうですねぇ
丁度、神戸市都市計画整備課が西国街道のガイド冊子を発刊した ときだった。ガイドは神戸市の範囲だから、明石市との市境まではガイド片手に行ける。まず、「明石 まで行って見ますか」となった。
「山陽道」(県教育委員会調査編)の本が見つかる
段々と旧街道歩きが楽しくなってきた。もう少し先まで行ってみよう ということで、図書館で探してみると、県教育委員会歴史の道調査委員会が調べた「山陽道」の本が 見つかった。この本の記述と付録の地図をテキストにして、姫路まで行ってみようということになった。
姫路からさらに西へ。有年峠を越えて備中へ
姫路から、相生、龍野、有年。兵庫県の県境にさしかかる。初めてJRと国道2号線から離れる。 県の調査資料から月日が経っているので、峠が越えられるかどうか不安である。蛇が恐いので 春先の天気の良い日を選んで、越えて岡山にはいる。
真夏に「かき氷」を求めて右往左往
岡山県内の「山陽道」はわざわざ岡山県立図書館まで1日割いて、資料をコピーしにいった。 清音〜神辺は真夏である。矢掛本陣に入るなり、「かき氷」といったので、ガイドの人をびっくり させてしまった。
広島は以前住んだことのあるところ
福山、尾道から山陽本線最高地「八本松」を越えて、原爆慰霊塔のそばを通り、宮島から岩国へ。 3年間住んでいて、地理に詳しいところだが、そのときは「山陽道」に関心が無く、何回も通った道 を口惜しいおもいで歩く。
「苦の坂」は文字通り苦しい坂(峠)だった
山口県に入るまえに横たわる「苦の坂」。大竹市が崩壊場所(100米)を復旧しなので、苦戦を 強いられた。岩国、錦帯橋の裏側を通り、徳山を経て、防府に入る。日本最古の天満宮の夏祭り。 華やいだ気分になる。若い女性の浴衣姿がまぶしい。
新山口(旧小郡)で台風に直撃され、閉じ込められる
まさかと思ったが、予想がはずれ、風速50メートルを体験。ホテルに1日缶詰。翌日、歩き出すが、 停電のため道路にある自販機は単なる箱になる。在来線普通。新幹線で帰るはめに。平成17年1月 歩き始めてから3年5ヶ月でやっと、下関赤間関にゴール。フグを肴に祝杯!
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