山陽道の西明石〜東加古川の区間は国道2号線を横切ることはあっても、 重なることは一部である。緩やかな渓谷を横切るといった、アップダウンも比較的ゆるやかな コースで、昔なら田畑の間ののどかな風景を楽しみながらであったとおもわれるが、現代では 新興住宅地の中を歩くといった状態になっている。今回から、歩く途中で興味をもった言葉や 看板なども拾って載せることにした。興味のない人はとばしてもらって結構です。
「念ずれば・・・」「決定し・・・」「人間は・・・」の三つはお寺の門のところに書いてあることばである。 「念ずれば花ひらく」は一箇所でなかったから、この地方共通のことばになっていると思うのである。「決定」は 「けつじょう」と読ましている。「人間は・・・」はよくみかける言葉である。」小学館国語辞典【昭和49年版】 のよれば、「けつじょう(決定)して」は必ずという意で、真如観「定めて極楽に生する事決定して疑なし」、 「深信」は「じんしん」と読み、往生大要抄「所詮は深信といは、かの仏の本願はいかなる罪人をもすてず、 ただ名号をとなふる一声までに決定して往生すと。」とあり、「阿弥陀仏はかならず救ってくれると信ずること」 であると記されている。「糞を踏み・・・」は五七五調だが、標語のようでもあり、川柳にしては品が落ちるのだが、 良く分かっておもしろい。「雨の競馬場」はなにか?本文をご覧下さい。
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国道2号線にでたところ 街道沿いの旧家
山陽道は新幹線の西明石駅と道路のため中断したあと、駅北西側の栽松寺・三社神社(神社の横にお寺が あった。)の南側で姿をあらわす。しばらく行って、国道2号線を横切り消防署の横を北へはいり、また左折して 雲楽池につきあたり、再び国道2号線を斜めに横断南西方向にむかう。旧家と古くからある造り酒屋(安藤酒造)の 狭い道を谷八木川へとゆっくり下っていく。

大久保町の住吉神社 谷八木川手前の常徳寺
国道2号線から入った山陽道をしばらく行くと右側に住吉神社がある。すぐそばの国道2号線から見ると南側に 位置する。神社は南向きだから、鳥居は南側にあるのが普通である。谷八木川に向かって降りる坂の中ほどに 常徳寺がある。この坂を降りきったところに昔、大久保宿の本陣があったということであるが、いまはうかがうすべもない。
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明治天皇大久保小休所建物
谷八木川を渡り250m先の大谷橋を渡る。3.5mの狭い道は上がり坂となる。坂を上がり、しばらく行くと 左側に塀で囲まれた古びた洋館がみえてくる。塀の中は手入れがしていないらしく、草が生え、建物も老朽化が 進みつつある様にみえる。門の前の標柱だけが新しく「明治天皇大久保小休所建物」の文字がはっきりと 刻まれている。
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住吉社、二見などを指す年不詳の道標 大久保町福田宮之浦をとおる山陽道
山陽道はさらに北西へ、JR大久保駅からの道路と交差して真直ぐいくと、ショッピングセンター駐車場南西角に 製作年代不詳の道標が草に隠れるようにしてたっている。段々風化して文字がよみにくくなっている。ここから、さらに 進むと道は2号線を斜めに横切ることになるが、その先に富士通の工場とコカコーラの工場があり、旧山陽道は寸断される。 コカコーラーの工場に沿って北東に伸びる道路を少し入った所に、田畑の中を南西に伸びる細い道がある。

宗賢神社本殿 金崎神社(黒石神社)
田畑の中の細い道は金ヶ崎集落への入り口である。そのまま、直進すれば大山道との合流点にでるのだが、 国道2号線からくる小道との交点を過ぎてすぐに、右へまがり、寄り道にはなるが、宗賢神社、金崎神社の方へ北上する。 丁度2等辺三差角形の2辺を行く形になる、二つの神社に行く前に、鶏谷山西光寺(真宗興正派)の門前を通る。 西光寺を左手に折れ、宗賢神社に向かう。みぎての小高い山に本殿がみえる。参道の周りは樹がないが、背後は森である。 宗賢神社の灯篭に文化十年(1813)癸酉中冬の銘。鳥居に享保16年(1731)辛亥九月吉日建立の銘
「続日本記」巻九に神亀三年(726)十月聖武天皇が播磨のの国の印南(いなみ)郡に行幸され、しばらく邑美(おおみ)頓宮に留まられた事が記されており、この年は 大豊作で、これを喜ばれた天皇が民と喜びを分かち合おうとされたとある。吉田東伍の「地名辞書」では、明石市清水、金ヶ崎 神戸市西区金岡町あたりであるとしている。(「古代播磨の地名は語る」ー播磨風土記めぐり。谷川健一編集。神戸新聞総合 出版センター 1998.8)
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