白壁と鱗模様の家 銀座街(昭和初期風) 銀座街(昭和初期風)
小学2年から6年めでの5年間、岡山県笠岡という所に住んでいた。昭和16年から 昭和21年までといえば、太平洋戦争勃発から終戦の翌年である。縁故疎開(親戚に 預けられた)。終戦後、食料難で大阪と笠岡間を何度も往復した。当時は国鉄といった 今のJR西日本山陽本線に何度も乗った。お蔭で大阪・笠岡間の駅名は諳んじるほど 覚えた。岡山、庭瀬、中庄、倉敷、玉島・・・・と岡山から四つ目が玉島だった。
今回、玉島町の港町及び問屋街の古い町並みを見に行こうと山陽本線の「玉島」を 探した。
「無い?!駅が無い。そんなことは考えられん!可笑しい。」
JR西日本の路線図を見る。確か、倉敷の次の駅だった筈。路線図に載っているのは 「新倉敷」である。現地に行って、地元の人に聞いた。
「昔は玉島と言ったが、倉敷市に合併されてから「新倉敷」になったんで。玉島と言う名を 残して欲しいという人もおったんじゃが。」
ということであった。
羽黒神社(鳥居) 港水門 水門の内側
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パソコンで玉島町の地図をダウンロードし、プリントしてもっていく。WEBで調べると 「新倉敷」駅よりバス、玉島中央下車5分で町並み保存通りとでていた。ダウンロードした 地図には「玉島中央」が無かった。そこで、駅前バス停でバスを待っている人に、地図をみせて
「玉島中央って、町のどの辺なのですか?」とおばさんに、
「玉島中央は、ほら両備のスーパーがあろう、そこの前に止まるんで」
「両備のスーパーって?」
「ほれ、大きなスーパ^じゃが」
「私他所から来たから分からんのですが」
そこにバスが来たので、とりあえずバスに乗り終点(玉島中央行き)で、降りてから、また聞くことにする。
羽黒神社表参道 通町 新町
バスを降りて、もう一度地図を出してみるが、どうしても現在地が分らない。そのとき、後ろから 声がかかる。
「何処へ行こうとしてるんですか」
同じバスに乗っていた男の人だった。
「新町から、円通寺(良寛さんの寺)の方へ行きたいんですが」
「地図を見せてください。あ、この地図ではバス停が地図の外になります。 地図の範囲外を指差し、
「バス停がこの辺で、この広い道を歩いてくると、ここで地図に入ってきます」
「バス停が地図外にあったのか。道理で分らないはずだ」
そこで、一番目印となる野球場の傍にたっている電波塔を教えてもらう。
「この電波塔は町の何処からでも見えよるけん。迷ったら、この電波塔を探せばよいけん」
やっと、新町に通じる港の水門のある通町の入り口にたどり着いた。赤い鳥居があるのだが、 参道が神社らしくない。裏側なのかもしれない。
港水門近くに史跡「児島屋跡」の碑があり、横の銘板に説明あり、「越後長岡藩家老・河井継之助 逗留の船宿・・・安政16年河井継之助(1827〜1868)は藩財政改革者、山田方向の教えを請うため に上陸した。そのとき、泊まった船宿で越後出雲崎の良寛さまを慕い、円通寺へ参詣し、そのあと高梁へ 行ったことが彼の旅日記「塵壺」に記されている」
右の2枚の画像は上が西国屋ホールの玄関、下が西国屋ホール全体である。旧新町問屋街にある。 寛文十年(1670)備中松山藩主水谷候によって阿賀町新田新町堤防の汐止工事が完了し、 阿賀崎村が独立して、堤防上に徐々に問屋が殖え、港町が形成され、天領になった元禄の最盛期には 東綿屋、大黒屋、西綿屋、米屋、西国屋、関屋など43軒の問屋が軒を並べて甕(もたえ)の港が大いに 繁盛した。新町問屋街の東西には総門があり、海側には船着場と土蔵の倉庫群が建ち、夜は門を 閉じて夜警が回り町を防護した。
この西国屋の土蔵は内側がなまこ壁で北前船で賑わった当時の繁栄を偲ぶよすがとしての歴史的 建造物であり、現在は蔵の中でなどの有意義な文化活動に開放されている。
お玉さんの祠 里見川沿いの家 昭和の水門 眼鏡屋さん
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新町通りで目についた「お玉さんの祠」はいわくありそうであるが、説明が無いので 分らない。新町を抜けると、「昭和の水門」のある里見川にかかる昭和橋に出る。川沿いの 家並みに昔を感じながら、橋を渡ると右角に家の壁上部に大きな眼鏡を書いた店がある。 壁面全体が大口をあけた顔に見えて、なかなかユニークな壁の利用法である。
元玉島信用金庫本店 円通寺道標 住吉山公園下
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左に玉島港を見ながら昭和橋を渡ると幸町である。左に見える小高い山は 住吉山公園、長い階段が頂上まで通じているようだが、足が弱いので諦める。 真っ直ぐ行けば円通寺至る坂道である。右に、仲買町の町並み。その角に 円通標の道標、「□□□まで一里」と側面に彫られてあるのを見て、1里=4km だから遠いと諦めて仲買町に入りかけると、自動車に乗った男の人が、運転席から 身を乗り出して、
「円通寺へ行きなさるんなら、坂を上がればすぐじゃが」
「でも、道標に一里と書いてありますが」
「あぁ、それは大分向うの□□寺のことずじゃが」
「じゃ、後で行きます。有難うございます」
とお礼を言い、仲買町のほうに行きかけると、すぐそばのお店(味噌・醤油店)から おばさんが出てきて、
「どこへ行きなさるんじゃ。この付近の説明をしてあげるけん、まぁ、ここに座りなさい」
と観光マップを持ってきて、この付近の見所を説明してくれる。自動車で出かけたはずの 人も戻ってきて、いろいろとアドバイスしてくれた。本当に親切な人にめぐり合わせて 幸運だった。
continud(つづく)