JR八幡駅南500メートルにある図書館の庭に保存されている国境石を見てから、北西にJR鹿児島本線まで 長崎街道は上がっていく。途中、真照寺を過ぎてから前田2丁目に前田の一里塚跡を通る。説明版がなければ 昔の面影がないので分からない跡地である。桃園2丁目に入るところで八幡駅前から続く国道3号線にでる。しばらくは 交通量の多い国道3号線を西へ向かう。紅梅町でやっとJRを超えて北側に出る。しばらくは家並みの中を進む。
図書館前の国境石 昔国境石のあった場所 前田の一里塚
北九州は工業地帯であったので、昔の建物は戦災により焼失しているはずである。したがって、現存するのは 終戦後直ぐに建てられて残っているものであると思われる。JR北側にある旧街道筋も近代のものである。田町に ある東構口跡は1615年黒崎城を廃止、城の南側にあった堀を埋めて設けた番所で4人が昼夜交代で詰め 旅人の監視を行っていた場所である。西にもあったが現在不明。JR北側は民家はあまりなく、むしろY電機会社 のような重工業の工場が林立している。整備中の空き地の角にお茶屋跡の石碑と説明版が建てられている。 当時、この付近は旅籠屋や商店があり、黒崎の中心として賑わっていたと言うことであるが、現在では想像も できない。
JR北の旧街道 黒崎宿の東構口跡 黒崎宿御茶屋跡
黒崎駅北側のY電機会社 JR黒崎駅 黒崎駅前にある木屋瀬宿イラスト
JR線路脇の御茶屋跡から線路を渡り南側に出る。商店街に入る前に春日神社があり、付近に願掛地蔵尊、 人馬継所跡を示す石柱が建物に寄り添うように建てられている。春日神社境内には文久二年の狛犬が屋根付の 小屋の中に収められている。
春日大明神 文久二年の狛犬 願掛け地蔵尊
春日大明神 は中世を通じて北九州西部を含む遠賀ちほうに勢力のあった麻生氏の氏神である。黒田長政の死後、 かって黒崎城を預かっていた井上周防之房(すおうこれふさ)が春日神社に長政の霊を祀り黒田大明神として 毎年祭礼をおこなっていた。この神社には、福岡藩が江戸時代末期、御用絵師の尾形洞青に命じ初代藩主の 黒田長政に仕えた24人の重臣の肖像を描かせたものが奉納されている。(市指定有形文化財)
商店街の黒崎宿イラスト 正覚寺 黒崎商店街 興玉神
春日神社の横から黒崎商店街が始まる。黒崎街道である。商店街の中ほどに黒崎宿の 大きなイラストマップが板塀に描かれている。賑やかな上にさらに派手やカ安真っ赤な 鳥居の興玉神が鎮座すする。商店街を抜けると難しい漢字の「乱橋」が小さな川に架かる。 袂に「史跡筑前六宿街道」の道標があるのを見逃し、人に動きにつられ、マンションの在るほうへ 行き掛けて途中で気がつき引き返して、乱橋を渡ってすぐに左折して、松並木入り口に向かう。
菅原町の旧街道 岡田宮 乱橋 乱橋袂の「筑前六宿街道」標
東曲里の黒崎松並木 昭和中ごろの松並木
商店街を抜けたか黒崎街道は乱橋唐南下する。乱橋から坂になり県道に出る。県道の向こう側に松並木が 見える。「東曲里の松並木」(黒崎の松並木)の「北の入り口」である。南の端まで1.2km、松並木が続く。 昔のままの松並木であると思うけれども、昭和の中ごろまで2本(写真上右のスケッチの大きな松2本)残っていたが 松くい虫にやられて、切り倒されて以前の松が無くなってしまったので、現在の松はそのころ、植樹した松が大きく なって、在りし日の松並木を再現しているのである。
黒崎の東曲里の松並木は堤防のような周りより小高くなっており南へ下がるにつれて坂を上がっていく 道になっている。昼食用に何も買ってこなかったのが悔やまれた。この近くに、田辺聖子さんの本(「姥ざかり 花の旅笠」集英社刊)に出てくるホテルがあることが分かっていたので、いざ何もなければそこに行きましょうと パートナーと話をしていた。しかし、幸いなことに、松並木の終わりかけのところに、郊外型レストランが目に付いた。 小月〜長府間で立ち寄った400円のランチがあるチエーン店ある。大いに助かる。昼食を済ませ、松並木の 終わりから住宅街に入り、途中、幸神に一里塚跡を通り、小鷺田で国道200号線に合流する。
幸神 幸神の一里塚跡 国道200号線と合流前の旧街道
幸神 此処幸神は類なき佳き地にて北の方に近く波打ちと言える処(今の熊西局の東方)に大貝塚あり、 その南西山寺の地(今の熊西公民館裏)には御縁るの御手洗の泉とて清らかな泉の湧き溢れ・・・・・(説明板より)
つづく
小倉〜八幡に戻る